私の古くからの友人である横田良氏が、大部の“恋愛小説”を自費出版された。書名の「月の沙漠」は、「月の沙漠をはるばると」で始まる童謡であるが、曲を書いた佐々木すぐるは日教組組合歌の作曲者としても知られる。また沙漠をイメージした本のカバーの写真は、彼の住む離島から日の出前の海を撮ったものである。

 著者横田良は、この小説について私に、「個人的な『恋愛』小説であり、単純に『恋愛』を描いただけ」だと言う。主人公がディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを得意とする不良あがりのギタリストであり、また“恋愛小説”だけにバンドの演奏シーンや性愛描写が過剰なほどに描かれているのであるが、ここではそれらを捨象して表題の視点から本書を紹介しよう。

 というのは、著者は“恋愛小説”であることを強調し「二部印刷すればよいものを、そうはいかないのでついでに四百九十八部印刷しただけ」だとしながらも一方で、「僕には、マルクスを読んだ人がなぜ全員マルクス主義者にならないのかが不思議なくらいで、なって当たり前という意識しかなく、小説中でもそういうスタンスが“自然に”表れている」、「どうせ読まれるのなら、その場合には全共闘世代ではなく若者を念頭に書いた」、「読んだらマルクス主義に興味を持っていた、あるいはマルクス主義がどういうものであるかを少しは理解してくれたらいい」とも述べたからである。

 主人公は、長崎の田舎から名古屋の私立大学に入学することになった“不良のロッカー”横田良。彼は電気ギターと、幼い従妹が描いた、書名にもなっている「月の沙漠」の楽譜と絵を手にして列車に乗り込む。この一枚の楽譜が彼の運命を変えていくことになるのである。

 良が長崎を出発したのは一九七〇年三月三十一日、すなわち偶然にも共産同赤軍派が日航機“よど号”をハイジャックしたその日であり、翌日の朝刊にはハイジャックを報じる巨大な活字が横たわっていた。新左翼運動全体が急速に大衆の支持を失い、後退局面に入る、その一つの象徴的な事件である。しかし彼はまだそんなことには何の関心も抱いていなかった。

 彼の五年間の学生生活は、革命を志す女子学生、小林今日子との思いがけない出会いに始まる。あらすじを紹介するのだが、実は、出だしの部分が既にずっと後の意外な展開の伏線になっており、小説の中にはこうした伏線がいくつも仕掛けられ、それがこの小説の面白さともなっている。

 貧乏学生の良は、六畳一間以外には何もない下宿に住むが、今日子は大学近くのマンションに住む。新入生のオリエンテーションで偶然に隣り合わせになり、演劇研究会に属するロック・バンドのメンバー募集でも一緒、二人の交際は始まる。今日子は聡明で、ヴォーカリストとしての実力を発揮しながら、物理学から社会科学まで、その知識と政治意識は良には想像もつかないほどに深く彼は畏敬の念すら抱くのだった。

 ある講義で、対米従属論を説く共産党系の教授に、今日子は椅子から起ち上がり大きな声で「ナンセンス!」と叫び、その形而上学的無概念を追及する。「異議なし!」「そのとおり!」という声も上がるが、この大学は自治会もまた共産党(人民党と表現される)系の影響下にあり、「トロは黙れ!」という応酬。さらに、「お前の彼女はうるさいぞ!」と隣席の良にも恫喝が。良は、「俺の彼女じゃない」と反論しようとして「何ぃ!」と拳を固めるのだが、それは今日子と立場を同じくするものと誰もが受けとる言動だった。あるロック・コンサートの最中、今日子は良に『資本論』を読破するよう約束させ、彼はそれを実行し始める。

 良は今日子に引き込まれるように新左翼・全共闘の運動に関わることになる。彼は今日子の部屋にある本を少しずつ読みだす。

 今日子は新左翼セクトの内ゲバを批判するが、彼女の立場は「今必要なのは、そういうセクトじゃなくて、自立した個人一人一人が主体的に闘っていく運動体、つまりノンセクト・ラディカルズや全共闘とかなのよ」と、学生やプチブル知識人による急進主義運動を擁護するものだった。良は、共産党系のスターリニズムに対する反発もあり今日子と行動を共にするが、その年の終わり頃には「一つの異変が起こり始めていた」。

 「僕はだんだん自分が必要とする書物を彼女の書棚の中に見つけることができなくなっていったのだ。吉本隆明や滝田修、高橋和巳や大江健三郎、あるいは小田実や……などは一冊読めばもうよかった」

 『資本論』やマルクス主義を読み進む良は次第に、新左翼が持ち上げる宇野弘蔵らの理論がもっともらしいが内容がないと悟り、「本物のロックンロールがブルジョア大学の講義の中にはないように本物の革命理論つまりマルクス主義も大学の中にはない」と、名古屋ウニタや図書館に通うようになる。

 ウニタではほとんど全部のセクトの新聞を手にし、気になった党派には質問書まで送って立場を確認したこともある。第四インターはわざわざ東京からオルグに来たが、ソ連・東欧諸国の「社会主義国家」に対してどんな科学的規定も与えることができず、ただ「堕落した労働者国家」という“文学的評価”しか示すことができず、良は「トロツキーの弱点は今に至っても致命的だ」と見限る。

 そして、「最後に一つ、あまりにも地味なためにまだ読んでいない新聞が残っていた。それは『全国労働者社会科学研究会』(全労社研)という名称で、名前からして研究会であり『闘う組織』だとは思っていなかったので少し蔑んで後回しにしてきたのだった。記事の中身も『〇〇粉砕』などではなくて地味な経済分析等が主であった」。小説の最後の「おことわり」で、この研究会は全国社会科学研究会(全国社研)とは関係ないと表示されているが、全国社研(現在のマルクス主義同志会)そのものである。

 急進主義に傾倒する今日子は、良が買った全労社研の新聞を見るとこわばった表情になった。

 良は、「僕はその理論にすごく興味を持ったんだ。僕はずっと『資本論』とかいろいろ読んでいるうちに、ソ連や中国の経済的下部構造は何なのかってことに疑問がわいたんだよ。トロツキーは『堕落した労働者国家』って言ってるだろ? それでいったい何がわかるってのか、僕には理解できないんだ。じゃあ宿敵スターリンは何て言ってるんだろうと思って『ソ同盟における社会主義の経済的諸問題』ってやつを読んでみたら『資本論』とは明らかに矛盾する点をみつけたんだ。社研は他ならぬ『資本論』を用いてソ連社会を分析できたんじゃないかと思ってね」と述べたが、今日子は、「理論学習ばかりで実践がない」と冷ややかだった。彼女は赤軍派や京浜安保共闘の“闘い”の方に同情的で、良は二人の間での“相違”が単なる意見レベルではなく路線そのものにあると思うようになるのだが、初めのうちは未熟で聞き流すしかなかった。

 大学二年の夏、良は名古屋で開かれる全労社研の集会に、露骨に不快な態度を示す今日子をおいて出かけた。果たして「社研」のヘルメットはどんな色なのか? などと思いながら会場に入ると……。

 「およそ今まで見てきた新左翼の集会とはまったく異なり、アジテーションもヘルメットもない。ごくごく普通の労働者と学生の地味で小さな集会だった。……『異議なし』とか『ナンセンス』だとか叫ぶのかと思っていたが全然違うものだった」

 「日本資本主義の現段階と労働者階級の任務」「急進主義運動・学生運動批判」という二つの報告は、十分に得心の行くものだった。報告の後の質疑では、「学生運動はやらないのか?」との質問に、「学生・インテリも党に組織するが、党は学生=小ブルジョア・インテリとしての立場に立つ運動はやらない。……党に結集した誰もが社会主義革命の担い手であるプロレタリアートの革命的政治組織の結成、発展のために闘う」という回答があったが、それに答えた人物こそは……。彼はこの人物とも親しくなっていくのである……。

 良は新左翼急進派を批判する全労社研のビラ配布やステ貼りに協力するようになるが、今日子との交際も変わらず続いていく。彼女は七一年十一月、あるセクトとともに暴動を起こそうと密かに準備していた。それを察知した良は? そして急進主義に行き詰まった今日子が決行した想像もつかないその行動とは!

 やがて一九七五年三月、五年間大学に通った良が大学を去る日が来る。今日子の運命はどうなったのか、そして二人の愛の行方は? さらに全労社研の集会で出会ったもう一人の人物との関係は? それが描かれるラストはこの小説のクライマックスでもある。

 いろいろなエピソードが盛り込まれているが、そのほとんどは実際に著者が体験したことだとのことである。たとえば第四インターのオルグが来たことや、見田石介氏に「ソ連は資本主義ではないか?」と質問すると「それは言い過ぎだ」と言われたことなどがそうである。

 これらのエピソードの中で国家資本主義論の紹介や、レーニンの組織論に対するいわゆる“外部注入論”との批判に対する見解などが展開され、それは自らの理論的成長の過程を実際に振り返るものとして、そこではまさしくマルクス主義が語られているのである。

 この小説には、ロックやフォーク、あるいは鉄道が好きな人には見逃せないエピソードが盛り込まれている。「シュレーディンガー・カクテルはなぜだか爆発する前にスピリットが抜けていた。一九六九年以降、当分の間はしかたがないものらしい。僕はまったく知らんふりをしていた」(二八六頁)というくだりは、一九七六年にイーグルスが放った歴史に残るロックの名曲「ホテル・カリフォルニア」の、「We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine」(「一九六九年以来、そのようなスピリットはこちらにはご用意いたしておりません」)という有名な歌詞にちなんだものであることは言うまでもない。スピリットは酒とも魂・精神とも読めるのだが、後者の場合には六八年を絶頂期としてアメリカ西海岸を風靡したヒッピー的、新左翼的な運動をも暗示しているわけである。

 我々の闘いの原点を再確認し、また小説としても面白く読んだ一人として、ぜひとも一読願いたい。

(坂井)

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■著者:横田 良
■定価:1800円 + 税
■送料:1冊340円、2冊以上 は送料当センター負担
■初版:2010年8月25日
■判型:A5版上製本
■ページ数:504
■ISBN:なし

革命運動が語られる“恋愛小説
急進主義からマルクス主義に接近する学生描く

一枚の楽譜『月の沙漠』に誘われた若い男女のラヴ・ストーリー。
70年安保が通り抜ける名古屋を舞台に紡がれる彼らの愛と闘い。